第一弾、バトルロワイアル編はこちらから
懐かし小説列伝第二弾にはどの作品がいいかな、と考えつつ軽い気持ちで検索をかけたのですが…今少し後悔しています。
もっと出し惜しみしてから使うべき作品だった!と。というのもこの作品、ツッコミどころが多すぎます。
Wikipedia先生の記事を見てみたところ、全くディスる意図なくまじめに書かれた記事なんですが、2度ほど声を出して笑ってしまいました。
もう読めば読むほど「Deep Loveで早く記事を書きたい」という思いが止められませんでした。しかし、不安です。この先これ以上インパクトのある作品の記事が書けるのか…。
まあでも、投稿数を見たら今回で50本目の記事です。区切りの記事でなんとなく大物がきた、ということでよいのかもしれません。あるいは、大物ゆえにこのタイミングで舞い降りるのか。
当時、沸き起こるように社会現象となり、瞬く間にBOOK OFF100円セールの常連となったこの作品。270万人のうちの1人だという方もそうでない方も、今改めてケータイ小説のレジェンドに触れてみましょう。
目次
作品概要
Deep Love 『第一部アユの物語』/ yoshi今から19年ほど前の2001年。ケータイ小説は颯爽とメディアに取り上げられるようになり、2005年ごろまで続くブームに発展しました。特に女子中高生たちがブームを牽引していたことを覚えている方も多いのではないでしょうか。
その後ブームとしては落ち着いたものの、ケータイ小説という言葉は世間に認知され、1つのジャンルとして成立するに至りました。調べたところ大辞林にも載っています。もっと驚いたのは、新和英大辞典にも載っているということ。ちなみに「a cell phone novel」らしいですよ。
ケータイ小説が生み出したヒット作は数知れず、「恋空」や「赤い糸」などは実写映画化もされました。ガッキー人気に火がついたのって恋空あたりぐらいからだった気もします。
そんな、1つの時代を築いたケータイ小説において、これなくしては語れない存在。それがyoshiさんが書かれたDeep Loveシリーズです。
yoshiさんの個人サイトで無料で公開されていたこの作品は、女子中高生の口コミで広がり続けやがて商業出版、シリーズ累計270万部のベストセラーとなったわけです。
ケータイ小説七つの大罪
あなたはケータイ小説七つの大罪、というものをご存知でしょうか。売春・レイプ・妊娠・薬物・不治の病・自殺・真実の愛
これら七つを指す言葉なわけですが、要はケータイ小説につきものの七種の神器ともいえる存在ってことですね。そしてケータイ小説の始祖DeepLoveにおいては三部作でありながら、第一部でこの7つをすべて盛り込んでいます。やりすぎでしょ。
ですが、三十路になった今となっては胸やけがしそうなほどやりすぎなぐらいの方が、女子中高生にはガッツリ刺さったようです。やりすぎということは展開がスピーディということ。
ケータイの小さな画面でも読みやすいように、文章が少ないという特徴をもつケータイ小説。短い文章の中で波乱万丈な物語が展開されるため、そのスピード感はかなりのもの。どれぐらい早いのか、あらすじを見てみましょう。
あらすじ
17歳の女子高生のアユは、1回5万円で援助交際を繰り返す毎日を送っていた。ある日アユは公園で舌が半分しかない捨てられた犬を見つけ、パオと名づけて以前道を歩いているときに知り合ったおばあちゃんに預ける。その後、アユはそのおばあちゃんの家に泊まるようになる。Wikipedia先生より。ちなみにこれで第一部「アユの物語」の前半ぐらいです。
夏休みの中ごろ、アユは薬物中毒者でホストをやっている恋人の健二から、どうしても200万円が必要だといわれる。それを聞いたアユはおばあちゃんが内職で貯めた150万円を「必ず返すから」と思いながらも盗み、健二に渡す。しかし、健二はそのお金をまた薬物の購入に使い、2週間後に死んでしまった。おばあちゃんはアユがお金を盗んだことに気づきながらも、知らないふりをしていた。そして、内職で貯めた150万円は、以前に養子として育てていた少年(義之)に心臓の手術を受けさせるために貯めていたお金だったとアユに告げる。アユはたまらず、そのお金を盗んだのは自分であること、そしてふだんから援助交際をしていることを告白する。その次の日の朝、おばあちゃんは死んでいた。
ツッコミどころ満載で、なかなか楽しい。最後の一文には声を出して笑ってしまいました。野暮かとは思ったんですが、ちょっとツッコミどころにいちいちツッコミを入れた版を↓に書いてみます。
17歳の女子高生のアユ(あの?)は、1回5万円で援助交際を繰り返す毎日を送っていた。ある日アユは公園で舌が半分しかない捨てられた犬(舌半分じゃなくていいと思う)を見つけ、パオと名づけて以前道を歩いているときに知り合ったおばあちゃんに預ける。その後、アユはそのおばあちゃんの家に泊まるようになる。
夏休みの中ごろ、アユは薬物中毒者でホストをやっている(役満2アウト)恋人の健二から、どうしても200万円が必要だといわれる。それを聞いたアユはおばあちゃんが内職で貯めた150万円を「必ず返すから」と思いながらも盗み、健二に渡す(自分のおばあちゃんでもアカンのに相手恩人やで)。しかし、健二はそのお金をまた薬物の購入に使い(3アウト!)、2週間後に死んでしまった(死んだ!?)。おばあちゃんはアユがお金を盗んだことに気づきながらも、知らないふりをしていた。そして、内職で貯めた150万円は、以前に養子として育てていた少年(義之)に心臓の手術を受けさせるために貯めていたお金だったとアユに告げる(内緒にし続けるか盗ったときに止めてよ)。アユはたまらず、そのお金を盗んだのは自分であること、そしてふだんから援助交際をしていることを告白する。その次の日の朝、おばあちゃんは死んでいた(死んだ!?)。
ちなみに「死んだ!?」のところは↓の画像のイメージで読んで頂くといい感じかと。いかがでしょうか、なかなかに激しいストーリー展開。ちなみに後半もこんな感じ。第二部もこんな感じ。第三部もこんな感じ。
こんな感じ、じゃ分かんねーよ!と思ったら7つの大罪を思い出して下さい。だいたいそんな感じ。
どこかで聞いたような悪い人に引っかかり、どこかで聞いたような悲劇が起き、どこかで聞いたような奇跡が起こる。
超が付くほどのご都合主義な展開は、新人賞に応募したら速攻で一次落選のかごに入れられそうなレベルです。実際にそんな批評もあったそうで。
ここまで読まれた方、管理人が盛大にディスってるとお思いかもしれませんが、そうじゃないんですよ。
確かに改めてあらすじを読み直すと笑ってしまったんですが、今回この作品について調べて分かったんです。
この作品は、これが正解だと。あらすじが荒唐無稽だとか、ご都合主義だとか、そんなことを語る自体がナンセンス。
この作品にはこの作品にしかない価値、存在意義が確かにあります。それってすごいことだと思うんです。
そう思った理由についても含めて、↓にてお伝えしていきます。
管理人とDeepLove
管理人がこの作品を読んだのは、発売して話題沸騰となった2001年ごろより少し後のこと。たぶん2004年とかそれぐらいだと思います。18歳とか19歳とか、20歳になるよりも手前だったことは覚えています。当時はあまり小説というものを読む生活はしておらず、世間で騒がれているし一回読んでみようかぐらいのノリで買った記憶があります。
読んだ感想としては…まあ普通に、面白かったな、と当時の無垢な管理人は思いました。「オイオイ」とか「やりすぎだろ」とか思ったシーンがあったことも覚えていますが、金返せこの野郎、とは思いませんでした。ちなみに今の管理人だったら思うと思います。
特に印象に残ったシーンは、おばあちゃんが走るシーン。
なんだったか理由は忘れましたけど、おばあちゃんがすごい必死で走るんです。それも裸足で。とにかく、アユのためか何かで急がなくちゃいけない。でもおばあちゃんだからそんなに走れないし、病気とかそんな設定もあった気がします。
感動的なシーンにするためにおばあちゃんを裸足で走らせんなや…と、当時の本を読まない管理人でもさすがに思ったので記憶に残っています。
これだけいたたまれない要素をそろえた上で、アスファルトで足が削れて血が出てる描写とかあるんですよ。
いや、そんなシチュエーション見たことねえよ。元気の押し売りはいつかのベッキーのあだ名でしたが、これは感動の押し売りという言葉がぴったりくる迷シーン。
精神的な成長が遅かった管理人が、「あざとい」という言葉を体得した瞬間でした。
それでもDeep Loveはすごい
なんか、当時の印象を振り返っても結局マイナスのイメージをもったシーンが浮かんできてしまった…実際そうなんだから仕方ない。当時、なんで読み終わって「まあ、普通に面白かった」と思ったのか理由を考えてみたんですけど、説明できそうにないんですよね…強いて言うなら、『流行ってるし面白いものを読んだんだ!』と若気の至りで思ってしまっただけなのかもしれません。
もしそうなってくると大変です。管理人、この作品を読んだうえで良い印象をひとつも受けていないことになる。
でも、ですよ。考えてみれば、そもそもは女子高生たちの間で口コミで広まった作品なわけです。
タピオカドリンクを並んで買ってみたものの「全然うまくない」と言って帰るおっさんがいたとして、タピオカ屋さんが責められる理由はありません。
Deep Loveも同じく、ハナから相手にしていなかった人々が買って、「表現が稚拙だ」「リアリティがない」「米花町より人が死んでるんじゃないか」と批判したところで、てんで的外れなわけです。
動かし続けたのは一握りの女子高生たちの心
ではなぜ、この作品は数多くのツッコミどころを抱えながらも女子高生たちにクリーンヒットをしたのでしょうか。それは、『女子高生』という単位でくくることをやめると答えが見えてくる気がします。もっと限定すべきです。たとえば『援助交際をしている女子高生』とか。
携帯小説という形式上、Deep Loveがサイト上で公開された当初、読者と作者の関係は非常に近い立場にありました。
小説を読んで感動した女子高生が自らの体験を作者にメールし、そこからまた新しい作品が生まれていった、というのは有名なエピソードです。
いわば、会いに行けるアイドルならぬ、交流できる小説家、といったところ。
自分の体験が作品になった当人はもちろん、同じ年代、同じ悩みを抱える女子高生たちにとっても、yoshiさんがケータイ小説として書き起こした作品は一筋の希望となったことでしょう。
たくさんの女子高生の現実が詰まったその作品は、物語の質として優れている必要はなかったのかもしれません。
求められたのは、時として自分を重ねてみる参考書であり、時として友達から聞く噂話のような存在であり、時として自分を戒めてくれる寓話であったり。
自分そのものを重ねたときに起こる、共感というものが何よりも求められたのだと管理人は考えました。七つの大罪の内容って、人に相談しにくいものですしね。
始めは「援助交際をしている女子高生」という狭いターゲットだったとしても、あとは口コミのもつ力。援助交際をしている女子高生の友達の女子高生、その彼氏、その友達、とどんどん広がっていったところでメディアに取り上げられ、270万部へ。
yoshiさんがどこまで計算していたものかは分かりませんが、それが、ケータイ小説というものが市民権を得て定着していった事の真相ではないでしょうか。
そりゃあ、援助交際なんて池袋ウエストゲートパークの中でしか見たことがない管理人が読んだところで、響かなくて当然なんです。
Deep Loveだけが成しえたこと
そしてここからがさらにすごいことですが。世の中には確実に、yoshiさんの小説を読んで人生が変わったという女子高生たちが存在するんです。なんと当時、「deep Loveを読んで援助交際をやめた」というメールがyoshiさんのところに殺到したそうです。
本当かどうか確かめることはできません。それでも、この作品って意外と説教臭いことでも有名です。小説でありながらところどころ、作者の考えが挿入されるんですから。
ただ女子高生が喜ぶ本を書くだけでなく、時に教訓のようなコメントが入ります。
先生や親だって援助交際を止めさせることや、考えを伝えることはとてつもなく難しいことのはずです。
Deep Loveには、自分とそっくりな境遇の主人公と自分に語り掛けてくるコメント、というDeep Loveにしかできない絶妙な距離感があるのだと思います。
心のどこかで自分を変えたいと願っている女子高生が、この一冊の本をきっかけに援助交際をやめることができた。そんなことが、本当にあったとしても不思議ではないことです。
現在のyoshiさん
さて最後に、現在のyoshiさんの活動に触れたいと思います。全ての始まりであるyoshiさんのサイト「zavn」は現在も更新が続いています。
こんなのも売ってたり。このセンス、好きだぜ。
最速100万分…哲学?(正解は100万部)
と、何かと細かいところにツッコミをいれたくてウズウズしてしまう素敵なサイトです。
今もぶれず、yoshiさんにしか書けない、誰かの人生を変えられるかもしれない作品を書かれているようです。
夜回り先生とはまた違ったスタイルで、yoshiさんは今も昔も女子高生たちにメッセージを送り続けているんですね。
本日の記事はここまでです。最後まで読んで下さりありがとうございました!@付き合っていた彼女のお父さんが夜回り先生そっくりで震えていた管理人kei
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